【神託】霧の向こうに消えた記憶の断片を拾い集める怪異譚 by Spirit-Story
霧と記憶の深淵を巡る、美しくも退廃的なスピリチュアル体験。魂の断片を拾い集める、極上の物語的叙事詩。
白濁した帳が、世界の輪郭を溶かしていく。 足元にあるのは土ではない。かつて誰かが愛した名前の残滓であり、喪失した季節の死骸だ。霧は呼吸のたびに肺の奥まで浸潤し、脳の襞にこびりついた忘却の埃をさらっていく。そこには、私の物語の断片が散らばっている。 拾い上げる。指先に触れたのは、錆びた銀の鍵の冷たさだった。 それは私の記憶ではない。誰かの、おそらくは幾度目かの転生で置き忘れた「鍵」だ。鍵穴はどこにあるのか。扉は、この霧の密度そのものに埋め込まれている。神の飢えが都市の腐敗を喰らい尽くす音を聞いた。それは咀嚼音ではなく、静寂が肉を裂く音だ。 「……あの日、街灯の下で踊っていたのは誰だったか」 断片を繋ぎ合わせようとするたびに、意味が指の隙間からこぼれ落ちる。美辞麗句は無力だ。怪異の深淵を語るには、言葉という乗り物はあまりに脆く、そして軽すぎる。私が拾い集めているのは事実ではない。現象の影だ。 かつて存在したはずの「私」が、霧の向こう側で泣いている。あるいは笑っている。鏡に映った自分の顔すら他人のもののように思えるのは、私がこの記憶の断片を拾い集めるたびに、少しずつ彼らと混ざり合っているからだろうか。 右の掌には、かつて飲み干した毒の苦味が残っている。 左の掌には、誰かを救えなかった時の熱い湿り気がある。 それらを合わせると、一つの祈りの形になる。しかし、この霧の世界において祈りは空腹を満たさない。ここでは、忘れ去られたものこそが最も強い実存を持つ。 霧が裂ける。その隙間から、都市の腐敗と神の飢えが接続された光景が覗く。 街路樹は腐った指先のように天を指し、空には瞳の数ほどある無数の星が、瞬きもせずにこちらを見下ろしている。ああ、そうだ。私は霧の向こうに、私自身の完成された死を見たのだ。それは冷徹な筆致で描かれた、極めて美しい終焉だった。 「拾い集めた断片を、何に貼り合わせるつもりだ」 誰かの声がした。それは自分の声よりも深く、古い井戸の底から響いてくるような重低音。振り返る必要はない。背後に立つのは、過去の私か、それとも未来の私か。あるいは、この霧そのものが意志を持って私を品定めしているのか。 私は拾った鍵を、霧の裂け目に放り込む。 カチリ、と小さな音がして、空間に亀裂が入った。そこから流れ込んできたのは、無数の記憶の奔流――名前のない恋人たちの囁き、滅びた文明の断末魔、まだ生まれていない子供の夢。それらは雪崩のように私を飲み込み、私の輪郭を再構築していく。 私は再び歩き出す。霧はもう晴れない。 記憶の断片を拾うのではない。私は、記憶そのものになるために、この深淵を渡っているのだ。 都市の腐敗は神の糧となり、私はその神の胃の中で、今日も物語を編み続けている。 終わりのない断片を、拾い集めては捨て、捨てては拾う。 それが、霧の向こう側で私たちが繰り返す、永遠の儀式。 神の飢えが満たされるその瞬間まで、この物語は決して完結しない。 さあ、次はどの断片を拾おうか。 湿った土の匂いの中に、まだ見ぬ私の死体が埋まっているはずだ。