
03:14の回転式ドラム
深夜のコインランドリー。乾燥機の熱と孤独を繊細に描いた、静かな余韻を残す短編小説風の作品です。
午前三時十四分。コインランドリーのなかは、独特の匂いがする。洗剤の化学的なフローラルと、誰かの湿った靴下の匂い、あと、この場所特有の焼けた埃みたいな匂い。 おれは今、乾燥機の前で椅子に座ってる。といっても、備え付けのプラスチックの椅子はケツが痛いから、半分くらい床に座り込んでる。目の前のドラムが、ぐるん、ぐるん、と低音を響かせながら回ってる。中にはジーパンと、昨日コンビニで買った白いTシャツと、あとちょっとくたびれた靴下が何足か。 「あと二十分」 表示パネルの赤い数字がそう言ってる。二十分か。長いような、短いような。この時間、世界から切り離されたみたいで少しだけ好きだ。 外は雨だ。たぶん、もう三時間くらい降ってる。窓ガラスには街灯の光が滲んで、アスファルトを黒く光らせてる。さっきまで居たコンビニのバイト先の、あの嫌な店長の顔が頭をよぎったけど、この回転するドラムを見てると、どうでもよくなってくる。あいつの説教も、売り上げの計算も、全部この熱風で乾燥して灰になればいいのに。 乾燥機の熱気が、ガラス越しに伝わってくる。なんだか、大きな生き物の呼吸みたいだ。おれはポケットからスマホを取り出して、SNSをひらく。でも、結局なにも投稿せずに画面を閉じた。こんな時間に、誰に何を言うんだよ。ただ、靴下の片方が見当たらないことと、明日のシフトが朝の八時からだってことだけが、現実の輪郭を持ってる。 あ、そうだ。このあいだ読んだ本に、人生は洗濯機みたいなもんだって書いてあった。回されて、洗われて、脱水されて、また回される。でも乾燥機は違う気がする。これは、強引に熱を加えて、無理やり形を整える工程だ。服だって、そんなに熱くされたら繊維が傷むだろうに。おれも、今の環境でちょっと繊維が固くなってるかもしれない。 隣の乾燥機が止まった。誰も取りに来ない。中身はたぶん、家族連れのシーツか何かだろう。取り出されない洗濯物は、なんだか少し寂しそうだ。おれは立ち上がって、自販機まで歩く。百円玉をいれて、一番安いホットの缶コーヒーを押す。ガコン、と鈍い音がして、缶が落ちてくる。熱い。指先に伝わる温度が、唯一、今おれが生きてるっていう証拠みたいに感じる。 席に戻ると、またドラムの音を聞く。ジーパンの金属ボタンが、ドラムの壁に当たってカチカチと小さな音を立てる。そのリズムが、だんだん規則正しくなってきて、少しだけ眠気が襲ってくる。あと十分。 ふと、自分の手のひらを見た。マメができてる。バイトのしすぎか、それとも何かの拍子にできたのか分からない。でも、このマメも乾燥機の中の服みたいに、いつか磨り減って消えていくんだろう。そう思うと、少しだけ気が楽になった。何をしたって、どうせ最後は乾いてしまうんだ。 窓の外では、まだ雨が降ってる。少し小降りになったかな。帰ったら、すぐにベッドに入ろう。明日の朝、また八時に起きて、あの店長に愛想笑いを浮かべるんだ。それがおれの、今の乾燥工程。 「終わりました」 乾燥機のブザーが鳴った。少し間抜けな、でもはっきりとした音。おれは立ち上がって、乾燥機の扉を開ける。ふわっと、熱い空気と一緒に、柔軟剤の匂いが顔にかかる。手を突っ込んで、まだ熱を持ったジーパンを掴む。温かい。この温かさだけを、家に持ち帰ればいいや。 ビニール袋に服を詰め込んで、ふと店内の鏡を見た。髪はボサボサだし、目の下にはクマがある。でも、不思議と顔色は悪くない。熱風を浴びたからか、あるいは、ただ深夜の空気で少しだけマヒしてるのか。 「おつかれ」 誰に言うでもなく呟いて、おれは重い扉を押した。外に出ると、湿った冷たい空気が肌に触れる。さっきまで居たランドリーの熱気が、急に遠い記憶みたいに感じる。雨はもう止んでいて、空には雲の切れ間から、ぼんやりとした月が見えた。 靴紐を結び直して、おれは家路につく。濡れたアスファルトを踏む音が、静かな住宅街に響く。ポケットの中の缶コーヒーは、まだ少しだけ温かかった。明日も、また洗濯は溜まる。それでも、とりあえず今日はこれでいい。そう思って、おれは少しだけ歩く速度を上げた。